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相談の意味がまるでない

おれ的問題意識
06 /11 2017
 いや、待て。
 自分のやりたいことができないからと言って、辞めるのはまだ早い。
 それは歯がゆく、時に悔しく怒りを感じ、じりじりした思いであることは確かだ。

 すぐカッとなるのは私の悪い癖だ。熱くなると動かずにいられない。じっとしていられない。おれの人生だ。やりたいことが出来ない、やらないなんて、人生じゃない。

 だが待て。
 とにかく、今の現場で、自分のやりたいことができるよう最大限の努力をすべきだ。
 環境のせいにしてはいけない。今の環境がそうなのであれば、自分がその環境を変えればいいんだ。

 ではどうやって?どうすれば今のこの環境を変えることができる?

 「何かやる時には必ずリーダーに相談しろ」
 私はその言に従い、100件以上相談した。が、100件ことごとく全部否定された。第一、だめって何だよ、だめって。意を決しせっかく提案・相談した挙句、結果、何のかんの理由つけて、その場ですぐ「だめ」って、そりゃねえよ・・・。一体何のための相談だよ。せめて代替案なり、会議で取り上げるなり、現場ミーティングをするなり、何か動けよ。何かやれよ。それがリーダーってもんじゃないの? 生産性がまるでない。「相談」する意味がまるでない。「相談」するだけ時間の無駄だ。

 例えば、入浴介助。
 重度の介護度のご入居者はシャワー浴になっている。だが、「お風呂に入りたい」と言っているんだ。「なんでお風呂に入れないの?」と言っているんだ。
 入浴させない理由は、「スタッフの体の負担になる」という全く納得できない理由。
 私がやります、と言えば、「安全性が保障できない」。
 機械浴を使用すれば安全性は高まります、と言えば、「今機械浴使ってないから」。(一体何のための設備だよ・・・)
 機械浴での入浴手順書出しますので、ミーティングして頂けませんか?、と言えば、「忙しいから・・・」。(忙しいからできないなんて、他の業界だったら机引っくり返されてるぞ・・・)

 残念だが、これ以上言うと、人間関係が悪化してしまう・・・。もはや手遅れか・・・。


 おっとまずいまずい。この記事、愚痴ばっかりになってしまった。ごめんごめん。

 とにかく、そんな現場をどうやって変えるか、それが私のテーマなんだ。という記事でした。愚痴ばっかりでごめん。。。
 
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諸行無常の響きあり

おれ的問題意識
06 /07 2017
 「和巳さんがそれやると、他の職員は何でやらないのって話になる」
 ・・・。
 じゃああんたもやれよ。
 大したことしてねえだろ。おれのマッサージなんて子供が母親にする肩叩きに毛が生えたようなもんだ。
 やり方わからなけりゃ、喜んで教えるぞ。

 「いろいろやってくれてるんだけどねえ。あんまりご入居者の体に触ると誤解を招く。あの人のご家族、けっこうクレーマーなんだ」
 ・・・。
 下半身の機能訓練、要はやめろと・・・。あんなに喜んで下さってるのに・・・。

 「そんな余計なことするから、あんたは仕事が遅いの」
 ・・・。
 不安になっているご入居者の話を聞いてるだけだろ? 別に残業代くれなんて言ってないぞ。

 「安全が保障できないから」
 歩行練習もやめろと・・・。本人はこんなにやる気になってるんだぞ。

 「ご入居者さんが疲れるから」
 それ言ったらもう何にも出来ねえよ・・・。

 ・・・。

 やることなすこと押さえつけられて満たされるわけねえだろ。
 それが出来ねえ理由なんて百も二百も挙がるよ。人の欠点弱点なんて言い始めたらそれこそ切りがない。
 それより、どうすればそれが出来るか出切るようになるか考えろや。人の良い所見つける努力をしろや。欠点百個見つけて、良い所一つも見えないなんて、人としてどうかしてるぞ。あんたのな。

 とは言え、こんな私を雇って下さったご恩もあるし、何より、人間関係悪くしたくない。お仕事頂けてるだけでも本当にありがたいと思っている。
 だから、逆らったり、反論・異論言ってない。何言われても、グッと飲み込んで、「申し訳ございません。以後、気をつけます」だ。そう言うだけじゃなく、実際に従っている。上司、先輩の言うことは絶対なのだ。
 まるで、Mだ。しかし、ご主人様のお気に召さないMだ。尻尾なんて振ってられっかよ。

 何となくわかるよ。
 変えたくないんだろ? 変わりたくないんだろ? 変化が怖いんだろ?
 今の環境、仕事、人生・生活・・・。

 だがな。望もうが望むまいが、諸行は無常だぜ。おれでなくても、誰かが、あるいは何かが、否応なく、今の状態を変えていく。今っていう時も環境も人も変わっていく。変えられてしまう。そして、自分に変化を余儀なくされた時は、もう既に時遅しなんだ。

 それが嫌なら、自分から変わることだと思うぜ。

肉食動物の掟

おれ的問題意識
06 /03 2017
 私は、どうしても肉食を良しとする論理が見出せない。
 エスキモーやイヌイットのような超極寒の風土・自然環境の中で暮らす人々ならわかる。体温を維持しなければ自分が死ぬ。そのために肉を食べる。それも確か、100%肉食だ。
 と言っても、彼らの食べ方は日本やアメリカのそれとは大きく違う。全部食べるのだ。捨てる部位などない。彼らにとってたとえ骨一本とて不要な部分なんてないんだ。美味い部位だけ抜き取って香辛料・味付けして、残りは捨てて食べるなんて信じられん。

 肉を食べたければ、アフリカに行ってライオンと戦って勝ったらその肉を食って良し。それも素手、徒手空拳でだ。
 負ければ、当然自分が食われる。
 だが、それが自然界の掟だろ。自分が肉食動物として生まれた運命だろ。

 私は動物を養殖して食べる、という食文化がどうしても賛成できない。
 彼らは自然界における生存競争の中で、あるいは自然の営みの中で死んでいくんじゃない。
 単に、人間のエゴによってその生命を、生んでは断たれるんだ。神に背く行為としか思えない。こんな野蛮極まる行為はない。

 だが、告白しよう。
 私も、たまに実家に帰った時、帰りに母がお弁当を持たせてくれる。そのお弁当の中に、お肉が入っているんだ。
 さすがに命の綱の食べ物を捨てるわけにはいかない。だから、信条に反し、複雑な思いで、しかしありがたく、食べさせて頂いている・・・。

 それ以外では、私の毎日食べさせて頂いているものは、鯖缶、納豆、塩ご飯だ。
 毎日毎日、飽きもせず、鯖缶、納豆、塩ご飯だ。私にすれば、飽きるどころか、この世にこんな美味いものはない。こんな美味いもの食べちゃっておれいいのかな、という思いで毎日食べさせて頂いている。


 私の言うことは極端かい?

 確かに私はエゴイストだ。この記事、いやこのブログ自体がもはやエゴイストの塊だ。だが、反論・異論があれば是非聞かせてほしい。きみがそれを言う権利はこのエゴイストが命を賭けても守る。


 関連記事→「悪魔の飽食」(この記事の中の言葉、今も変わってないよ)
 
 

プライド

おれ的問題意識
05 /21 2017
 そっか。一社目辞めてから、まだ一年経ってないのか・・・。
 目まぐるしく環境が変わった。私のことだ。これからも変わるだろう。
 自分の居場所や環境、人が変わると、時の流れがやたら遅く感じる。一日一日がずっしりと重いのだ。だが何、マンネリよりはマシさ。


 私は、プライドという言葉を、矜持とは訳していない。
 「矜持」:自信と誇り。自信や誇りを持って、堂々と振る舞うこと。きんじ。プライド。
 なるほど、プライドという意味も確かにあるのだな・・・。

 だが、私は普段、矜持という言葉を使っていない。即ち、自分の血肉となっていない言葉だ。

 言葉、知識知恵。それは自分のこの生身の体の血肉となっていなければ、人生にも実生活にもましてや仕事にも生かせない。どんな高尚な言葉であっても、自らの魂がこもってない言葉に人の心が動くことはない。響くこともない。生きることもない。

 だからと言って、私にとって、「プライド」という言葉。誇り、とも思えないし、自尊心ともまた違う。意地でも自信でもない。やはり、プライドは、「プライド」なのだ。

 強いて挙げれば、「意志」という言葉が一番近い。感覚的に。

 私は、今のところ、三役を担っている。あるいは、三つの道を持っている。
 私は、「介護職員」(労働者)であり、「日本人」であり、そして、「男」だ。この三役だ。
 この三役を追求するのが、このブログの目的だ。私は経験がなければ記事が書けない。つまり、このブログを充実させるということは、自分自身の人生を充実させるということだ。

 アダルト記事もあり、それが果たして「プライド」かどうかはわからないけれど、ともかくもお付き合い頂ければ幸いです。

 これからもどうぞ、よろしくお願いします。
 

何故、生きる?

おれ的問題意識
04 /23 2017
 おれは何故、生きているんだ?

 そりゃ、死ぬとなったらそれなりにじたばたするに違いない。

 しかし、「何故、生きるのか」、という命題は難しい。
 私は43歳だ。
 今さら夢を追う年齢でもない。人生を希望に託す年齢でもない。

 老いてなお、人は生きるのか

 いや、老いてるなんて実感はないよ、全然。性欲もあれば、食欲もある。60歳くらいまでは今のまま、今のこの体のまま現役で行ける自信もあるよ。寿命の程は、知らんがね・・・。


 あの頃のような熱さがないんだ・・・。
 やりたいことは、いろいろとまあそこそこある。
 女性ともセックスしたいと思ってる。だけど、あの頃のような執着心がない。女性(セックス)の優先順位はかなり下がる。強がりでなく。それこそ、このまま一人のまま人生終えてもいいかな、と思ってる。それがおれの運命だったんだ、と思ってる。

 別に諦めてる(諦念って言うのかな)わけじゃないんだ。

 死ぬ、というタイミングになれば、やっぱりそれなりにじたばたおたおたすると思うんだ。

 では、何故、生きる?何故、おれは生きている?死のうと思わない?

 わからん・・・。プライド、としか言いようがない・・・。
 
 

菓子パンの魔力

おれ的問題意識
04 /01 2017
 食欲はいくらでも我慢できる。別に苦労してない。

 問題は、菓子パンだ。

 やめるのに一年くらいかかった。やっとやめられた、と思った・・・。
 このブログでも自戒するために、あえて記事を消さずに残してある。これとかこれとか。
 おかげで、チョコレートやらスナック菓子やらお菓子の類はいっさいやめられた。

 菓子パンは死ぬ程美味いとどこかの記事で書いてあった。


 唐突に襲い掛かってくる。菓子パンの欲望が。夜。寝てる時。
 脳が犯されてる感じだ。エンドロフィンだかドーパミンだか脳内の麻薬物質が一気に噴出している気がする。
 要は、菓子パンは美味を越えて、快感なのだ。

 別に私はふざけてるわけじゃない。
 これは、これまで自堕落で暴飲暴食してきたつけだ。
 そんなしつこい欲望も、朝になるとケロッと消えているから不思議なもんだ。

 昨夜は何とか我慢できた。禁菓子パン、何とか継続中だ。これも男のプライドってやつだ(笑)
 
 

君が代

おれ的問題意識
03 /27 2017
 政治家の仕事は、国民を飢え、寒さ、外敵から守ることだ。

 本来誰のものでもないこの大地、自然環境。
 それを国として、国家を名乗り、そこに生き暮らす人々から税金を課し卑しくも統治するのであれば、
飢え、寒さ、外敵から、国民を死守しなければならない。
 何故なら、人間もまた動物。産まれおちたその瞬間から、飢え、寒さ、外敵からの攻撃、その脅威との戦いだからだ。

 どこの国の政治家であれ、政治家の仕事、使命はそれだけだ。


 だけど、日本の場合はちょっと特殊なんだ。

 日本の政治家の絶対的な使命は、皇室を何が何でも存続させることだ。万世一系の系譜を、絶対に死守しなければならない。日本の政治家の仕事はそれだけと言っても過言ではない。

 もし、天皇制がなくなれば、日本は、言いたくないが、事実上、滅ぶ。
 日本人が日本人であり、日本が日本である意味も意義も失われ、プライドも精神性も失われる。そして何よりも、日本人が最も尊ぶべき美が失われる。何故なら、皇室がなければ、僕らは日本人である必要がないんだもの。自分たちの利害だけ考えるような醜い国民性に成り下がる。法や何かの制度等、理性で人々の精神性を制御・左右しようとしてもだめだ。いったんは上手くいくかもしれないが、やがて壊れる。
 それこそ、今の中国や朝鮮みたくなってしまうんだ。

 日本の天皇は、かつて世界にあった皇帝ともまた違う存在だ。

 GHQは何とかこの不可思議な存在である、天皇を、日本人の心や頭から排除しようとしたが、単なるマスコットにしようとしたが、だめだったようだ。


 ともかく、この万世一系の系譜が存続する限り、日本は不滅だ。
 
 君が代は、正しかったんだ。
 
 

私の個人主義

おれ的問題意識
02 /17 2017
 智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。

 とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。
 どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる。

 人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三件両隣にちらちらするただの人である。
 ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
 あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、寛容て(くつろげて)、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

 ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。

 あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。



 ・・・。

 長くなったが、漱石、『草枕』の冒頭の文章だ。

 私には、意地もあれば、プライドもある。殴られれば、そりゃ殴り返すさ。

 私は、物事、人事の本来あるべき自然な姿ってのを大事にしてるだけだ。

 法の下の平等と言うが、私にしてみれば、人は皆、自然の摂理の下、平等なんだ。

 それが、私の個人主義だ。

 生きにくさ、働きにくさ、感じてるよ・・・。私には、いろいろと才能が無いんだと思う。


 そんな世の中に生きる人間の心を、たとえ一時的にせよ、平和な気分にし、人の心を豊かにするのが、漱石の言う所の芸術の士であるならば、私は、そのような介護従事者でありたい。

 芸術とまでは言わない。エンターテイナーだ。

 

飯島愛の死

おれ的問題意識
12 /30 2016
 10年。いや、もう10年以上だ。
 私はセックスしていない。特定のパートナーもいない。

 30歳だったか、当時付き合っていた女性とひどい別れ方をして、10年。10年は女性を断とうと決意したのだ。
 決意、とは語弊かもしれない。
 私には女性と付き合う資格がないと自覚したのだ。

 私は、彼女をひどく傷つけてしまった。

 取り返しはつかない。深い後悔と自責の念。

 爾来、10年以上、女性とは縁がない。縁をつくることもしていない。それは今も続いている。

 女性の愛し方を知らない限り、女性とは付き合えない。欲望のままに軽々しく付き合ってはいけない。


 愛するとは、畢竟、自分のあり方だ。
 自分がいかに男として、あるべき生き方、あり方をしているか。男としてあるべき姿をしているか。
 それは自然、言葉や態度、行為・行動に表れる。顔つき、体さえも変わってくるんだ。

 女性は見ている。感じている。
 その男の、男らしさ、逞しさ、強さを。
 本当に自分が信じ、この身を委ねることができる男かどうかを。


 この時期、どうしても思い出される女性がいる。
 その女性の死は、私にとって強い衝撃だった。その日一日、仕事にならなかったのを覚えている。

 「男が信じられなくなった」

 何も彼女がそう言ったわけではないが、何となく、彼女のそんな心の声が聞こえてくる。